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2014年09月20日

<広島土砂災害>「1カ月早いね」兄夫婦亡くした弟に涙

 阿武山(あぶさん)の山裾に広がる、広島市安佐南区八木地区の住宅地。発生から1カ月を迎えた広島市北部の土砂災害。20日朝、立川(たつがわ)新三さん(77)と妻の祝枝(ときえ)さん(71)は自宅から50メートルほど離れた新三さんの兄宅まで急な坂を上った。「1カ月、早いね」。新三さんが祝枝さんに語りかけた。家々は土石流にのまれ、今も巨石が目につく。崩れ落ちた兄の家の前で、転がっていた石の上にキクやユリの花を置き、2人は手を合わせた。「どうか安らかに」

【どう変わったか】広島土砂災害発生から1カ月 現場は今

 新三さんは、兄洋二さん(当時81歳)と義姉サチコさん(同82歳)夫婦をこの災害で失った。同じ戸建て団地の中なのに、3区画分ふもとに近い自分の家はほとんど被害を受けなかった。

 建築会社に勤めていた新三さんは、長男が生まれたばかりの38歳の時、傾斜地を造成したこの土地にマイホームを手に入れた。その翌年、洋二さん夫婦も家を建て引っ越してきた。2人の家は目と鼻の先。両夫婦とも登山が趣味で、洋二さんは団地の入り口を「登山口」、新三さん宅を「7合目」、自分の家を「山頂」と呼んだ。「見晴らしがいいけのう」。夏の花火がよく見えた自分の家を洋二さんは気に入っていた。

 洋二さんと新三さんは、4人きょうだいの次男と三男。戦時中は2人で広島県安芸高田市の祖父母宅に疎開した。戦後の貧しい時代は、毎食のようにふかした芋を食べ、肩を寄せ合って飢えをしのいだ。

 半世紀にわたって兄と住んできた愛着のある街。そこが土砂とがれきの街に変わった。新三さんは夫婦で毎朝、花と線香を持って洋二さんの自宅跡に向かう。「兄と自分の運命を分けたのは何だったのか……」。兄夫婦の苦しみを思い「早くがれきを取り除いて、更地にしてくれんかのう」と涙を浮かべる。

 「ただ、自分は生涯ここに住み続けたい。それが兄への供養になるから」。手を合わせた後、新三さん夫婦はきびすを返し、自分の家の方へゆっくり歩き始めた。

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Posted by ままもも at 17:01Comments(0)